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動画「のぞみのテレビデビュー」!? 2013年11月28日、のぞみの通う横須賀市立養護学校が、ケーブルテレビJ-COM湘南コミュニティー チャンネル地域情報番組「夕なび」の学校紹介コーナーで紹介されました。 ケーブルテレビとはいえ、のぞみにとってはまさかまさかのテレビデビュー。 校長先生とツーショットで、元気に明るくインタビューを受けていました。 |
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養護学校からの帰宅風景 ジグソーパズルに挑戦 自宅トレーニングVol.4 →のぞみの部屋sitemap |
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1998年6月14日、救急搬送された藤沢市民病院で1232gの女の子が産声をあげました。 父親が毎日のように「早く会いたいよぉ~。早くおなかから出ておいでぇ~。」と言い続けた結果、予定日よりも2ヶ月も早く生まれたきた、胎児のときから大変に聞き分けの良い子、それがのぞみでした。 未熟児のため、すぐにNICU(新生児特定集中治療室)に入れられてしまいました。担当医からは、死亡率や障害の可能性など様々なリスクを聞き、最悪の事態も覚悟しながら自宅から往復3時間かけて病院に通い、連日のぞみの成長を見守っていました。 親の心配をよそに、小さい体のくせに母乳をよく飲み、のぞみは着実に成長しましたが泣き声にハリが無く弱々しいのと、足の曲げ伸ばしがほとんど見られない点が気になりました。検査の結果、脳に異常は見られませんでしたが、神経の伝達に問題があり運動機能が著しく低く病名は「脳性麻痺」とのことでした。座っていても姿勢を維持することが出来ず、疲れてくると斜視になり、自力では寝返りもままならない、そんな状態でした。 神経の信号がうまく伝わらないのなら、刺激を与えて何とかして見よう。そう思って病院のリハビリだけでなく、電磁治療器を試してみたり、高名な気功の先生の治療に通ってみたり、試行錯誤を繰り返してみたものの、なかなか改善されませんでした。 だからと言って、家に閉じこもっているわけにもいきません。幼稚園に通わせて周りの人とのコミュニケーションを取れるようにしようと考え、受け入れてくれる幼稚園を探しました。ご近所の方から「娘の通っている幼稚園に肢体不自由の子も通っている」と聞き早速その幼稚園に連絡をして見学させてもらいました。のぞみは「ここに通いたい!」と言うし、先生方も「大丈夫です。相談しながら協力していきましょう」とのお言葉をいただきました。最初は週に1回、やがて週に2回、徐々に日にちを増やし、最終的には週に5日、毎日バスでの送迎もしてもらえるようになりました。おかげで、3年間1日も休まず、楽しく登園していました。 小学校に入学する際には、市教育委員会の方と何度も相談した結果、登下校の送迎は親が行うことを条件に、エレベータ完備でバリアフリー設備の整った地元の普通学級に通うことになりました。付き添ってくださる専門の介護の先生と、やさしい同級生に恵まれて楽しく学校生活をスタートしました。幸い学力に問題はなく、むしろ成績は上位の方でした。唯一の課題が体育の授業でした。みんなのように運動ができるわけもなく、また肢体不自由の運動機能改善プログラムを普通学級のカリキュラムに求めるのは無理な話です。 そんな時、保健の先生からあるアドバイスをいただきました。養護学校の理学療法士の先生にお願いして一度専門的なリハビリを体験してみたらどうかとのアドバイスでした。とりあえず週に1回、放課後の養護学校に通いリハビリ訓練を続けてみました。その結果あれよあれよという間に運動機能が改善されていきました。体に力が入るようになり、出来る動作が一つ一つ増えていきました。 学力の向上と運動機能の改善、どちらを優先するか考えた結果、運動機能の改善を優先することにし、4年生修了時に養護学校への転校を決めました。 小学校普通学級と養護学校小学部、合わせて6年間、学校が大好きで1日も休まず、無遅刻無欠席の皆勤賞で小学校を卒業し、養護学校中学部も3年間皆勤賞で卒業しました。 現在は、神奈川県立岩戸養護学校に通っています。 |
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のぞみが卒業した横須賀市立養護学校でも行っている活動です。 |
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